西陣織

西陣織
(にしじんおり)

  • 産地:
    京都府
カテゴリー:

説明

京都府京都市の西陣地域で生産されている織物の総称。

西陣は、日本を代表する絹織物の生産地で、特に袋帯・名古屋帯をはじめとする帯が有名です。ほかにも綴・唐織・羅・錦・緞子・金蘭・御召・紬など、帯から着尺、さらには法衣まで多様な種類の織物が織られています。

5~6世紀頃に秦氏により伝えられた織物技術が起源と言われています。なお、鎌倉時代には、西陣の地域は「雲林」と呼ばれていました。

西陣織は応仁の乱(1467年~1477年)後に大きく発展したそうです。戦火を逃れて避難していた職人たちは、応仁の乱が終わると京都に戻り、応仁の乱の際に西軍の陣地があった辺りに集まって織物作りを再開しました。

「西陣」という地名は、この頃に名付けられたと言われています。この地域が西陣と呼ばれるようになってから、この地域一帯で織られる織物は西陣織と呼ばれるように。

江戸時代には、富裕町人から圧倒的な支持を受けており、また、幕府の保護のもと、西陣織は最盛期を迎えました。

しかし、1730年の「西陣焼け」と呼ばれている火事で、西陣織は大きな打撃を受け、また、その後の天保の改革(1830年~1843年)による絹織物禁止令などの影響で徐々に西陣織は衰退していきました。

明治維新後、京都府による保護育成が計られることになり、海外の先進的織物技術が導入。1887年頃からその技術も定着していき、西陣は最新にして最大の絹織物産地となっていきます。

こうして西陣織は新しい技術を取り入れることにより、幕末から明治維新にかけての危機を乗り越えました。そして、第二次世界大戦後には、機械化がさらに進み、新しい技術が次々に導入されていきました。

現在、着物の需要の低下が深刻ですが、高級な着物や帯だけではなく、ネクタイやバッグなど多様な製品が生産されています。

■西陣織の商品Pick Up