桐生織
(きりゅうおり)
- 産地:
群馬県
説明
群馬県桐生市などで生産されている絹織物。桐生市は京都の西陣と並ぶ歴史が古い織物の町で、「西の西陣・東の桐生」と言われるほどです。
桐生織の発祥については白滝姫伝説という伝承が残されています。
桓武天皇(737年~806年)の時代、現在の群馬県にあたる上野国から1人の男が京都に宮仕えに出されました。男は、宮中の白滝姫に恋をしました。かなわぬ恋だと思っていましたが、天皇の前で見事な和歌を詠むことで、白滝姫を連れて帰ることを認めてもらいました。そして、桐生に移り住んだ白滝姫は、絹織物の技術を桐生の人々に伝え、桐生織が始まった…というのがその伝承です。
現在でも、桐生市には白滝神社があり、白滝姫が祀られています。
桐生織は、かつては「仁田山紬」と呼ばれていました。鎌倉時代末の新田義貞の旗揚げや、1600年の関ヶ原の合戦で、徳川家康が桐生の白絹の旗を用いたことなどから、桐生の名が全国に広まったと言われています。
そして、江戸中期の元文年間(1736年~1740年)に、京都・西陣の織工によって高機が持ち込まれたことで、金襴緞子や糸錦のような高級織物が桐生で織られ始めるようになったそうです。
1872年頃に導入された西洋式の染織法や、1877年頃に導入されたジャガード機による紋織の製織など、時代の変化に伴い技術も進み続け、桐生織の名はさらに高まっていきました。
現在、需要の減退とともに生産量は減少し、苦境に立たされていますが、着物以外にも、ハンカチやネクタイ・テーブルクロスなど、さまざまな製品が生産されており、先端科学技術を導入した新製品の開発も行われています。
また、伝統工芸士により桐生織伝統工芸士会が結成されており、技術の向上や後継者の研修指導・会員の交流研修などが行なわれています。
■桐生織の商品Pick Up